Cats just being cats

2024/12/23

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 さて前回は、猫さんを受け入れてから毎日泣いていたという話を書きました。

今読み返してみると、「たいしたことないじゃん」と思ってしまうところですが、当時は本当につらかったんですよ(笑)

私は「物持ちヨシ子」さんで、何十年も愛用し続けているモノが少なくないのですが、長年使っていたのに猫さんを受け入れた途端に壊されたもの、傷つけられたもの、たくさんあります。最近も、長く使っていたスピーカーを壊され、そういえば前回は2つしか書かなった「つらかった理由」、3つ目がここにあったなぁと思っていました。



初めての猫飼いにとっては衝撃的な猫の生態を目にして毎日泣いていたくらいだったのですが、今では猫さんがかわいくてかわいくてたまらないくらいになりました。

あんなに毎日泣いていたのに、なぜこうも変わったのか? それは、私の「猫師匠」の一言でした。

私には、「猫師匠」がいます。当初は保護犬を迎え入れようと思っていたのに、なぜか突然、猫さんを迎えたいと思ったときに、相談に乗ってくれた人。彼女は当時9歳の猫さんと一緒に暮らしており(残念ながら今年、虹の橋を渡ってしまいました)、大の猫好きなので、私が保護猫を迎えたいと伝えたら相当喜んでくれました。そして、私がもし慣れない猫を相手にパニックを起こしたら、相談に乗ってくれると約束してくれた人でもあります。

猫さん相手に毎日格闘していると相談したら、猫師匠は一言、「A cat just being a cat」(猫が猫らしくいるだけじゃん)と言いました(猫師匠とはいつも英語で会話しているのでこの言葉も英語です)。

この一言で、ハッ👀と気づいたのです。

私は、モノを壊したり、私がダメだという行動を取ったり(壁や本で爪を研ぐ、危ないところに登る、モノが溢れる押し入れに入ろうとする…などなど)していた猫さんの行動が、「困らせることばっかりしないで!!」という受け取り方をしてストレスに感じていたのですが、猫さんは何も私を困らせようとか、いたずらしようとか思ってそうしているわけではない、とようやく気づいたのです。好奇心旺盛な猫が猫らしくいるだけ。そう思えたら、いろいろなことを許せるようになりました(単純。というか、今さら?笑)。

それからこの言葉で、自分が猫の行動を人間(私)に合ったものにするようコントロールしようとしていたことにも気づかされました。

プラスして、どこかのブログだか本だかで読んだ、猫にモノを落とされたら、そこにモノを置いておいた自分が悪い、という文章にも影響されたのもあると思います。

ということで、なるべく真空行動(猫の大運動会)は少なめにしてもらうように、一生懸命体力を消耗するような遊びを一緒にしつつ、モノを壊したり爪を研いだりといった行動には寛容に構えるようになりました(長年愛用のモノを壊されても…中古ながら購入したばかりのマンションを傷だらけにされても…汗)。

これは去年8月、つまり我が猫さんを受け入れてまだ1カ月くらいのときの動画。当時はとにかく体力を使ってもらう遊びをしていました(笑)




今は少しだけおとなになったので、当時と比べて運動量はかなり減りました。それでも大運動会はするのですが、どんだけたくさん一緒に遊んだところで大運動会はするものだということを下僕も学んだので(遊びだけでは体力消耗できないのか?笑)、運動会は勝手にやってもらって、それとは別に、体力消耗が目的ではなく、コミュニケーションを楽しむ意味で一緒に遊んでいます。 

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