ランニングと翻訳者

2020/06/18

ひとり言 ランニング 翻訳

t f B! P L
なんだか小論文みたいなタイトルですが(笑)

翻訳者にはランナーがわりと多い気がします。単純に世間のランナー人口自体が多いというのもあるかもしれませんが、ランニングと翻訳って似ているな〜、だから翻訳者はランニングに惹かれるのかな〜、と思うことがよくあります。

どちらも孤独な活動です。たとえば翻訳以外の仕事で会社員をしていた時はチームプレーが必要になる場面が多くありましたが、翻訳者をしていると(もちろんエディターさんやコーディネーターさんなどとのチームプレーという側面はありますが、翻訳という作業においては)1人でこなすことが圧倒的に多いと思います。

長い距離を長い時間かけて走るフルマラソン大会に出ると、孤独な時間が長いので、いろいろと考えて気づきを得られることがあります。

最初の数キロは、自分が特定のランナーと何度も抜いたり抜かれたりを繰り返していることに気づき、相手をライバル視し始めて「あの人より先に行きたい」という気持ちが芽生えたりします。でも20キロ、30キロとなってくるとかなりつらくなってきて、もうその相手なんてどーでもよくなり、自分の体力やメンタルとの闘いになります。

結局のところ、フルマラソンのタイム(もしくはそもそも完走できるか否か)は、他人と自分の比較ではなく、自分がどれだけ頑張ったか──しかもその日だけでなく、普段の走り込みでどれだけ頑張ったか否かなんですよね。

それって、翻訳もまったく同じだなと思います。

もちろん、人がどんなに頑張っているかとか、実績を出しているかとか、私も気になることは多々あります。でも結局は、自分の実績は自分が積み重ねていくものであり、相対的な価値で作られるものではありませんよね。

以前、同業者と名乗る人から匿名でこのブログを通じて嫌がらせのメールが送られてきたことがありました(こういうこともあり、ネットでの誹謗中傷に対する刑事責任が問われる時代になりつつある今の流れはとてもいいことだと私は思っています)。

でも、ランニング同様、翻訳って他人と比較するものではないと思うのです。ランニングのタイムのような、定量的に実力を判断する側面が翻訳にはないのでなおさらです。

ランナーって、マラソン大会に出ると大抵は自分のパーソナルベストを更新しようと頑張りますよね。ライバルは結局、前回の自分。

ほとんどの翻訳者も、きっとランナーのように自分と向き合い、自分のパーソナルベストを出すべく、より良い訳文を捻り出せるように日々努力をしている人たちなのではないかな〜と思います。

ナイスラン!!って自分に言ってあげられるように。
と、日々走りながら思うのでした。



(↑ランニング中に撮った紫陽花)

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