英国・ロンドンで6年強を過ごした経験をもとに、「活きた」日本語・英語による翻訳・通訳・ライティングを行っている松丸さとみです。

主にニュースサイト (BuzzFeed Japanなど)での翻訳のほか、ライティング(Newsweek(ニューズウィーク日本版)NewSphereなど)もしております。

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日本翻訳連盟会員


2013年12月28日土曜日

マラソンと坐禅


昨日書いた「Honolulu Marathonその2」に続き、今回のホノルル・マラソンで感じたことを書きます~。

以前、「ランニングで哲学」というエントリーを書きましたが(もう2年前だ!)、走っていると、色々と深い考えに辿り着くことがあります。
これは走る間は考える以外に何もすることがなくなってしまうということにも関係があるような気がします。
ただしポイントとしては、走る際にウォークマンなどの類を一切聞かないこと。

JTFジャーナルの「フリースタイル、翻訳ライフ」をお読みくださった方はご存知かと思いますが、私はランニング中、音楽を一切聴きません。これは、自分の「心の声」を聞きたいから!つまりランニングは私にとって、自分と向き合う貴重な時間だったりします。

今回のホノルル・マラソンの最中や、その準備として自主錬で20キロ走をしたときにも、走りながらふとした瞬間に頭の中が真っ白になっている自分に気付き、ランニングと坐禅って似ているな~と思いました。

ただ、その「真っ白になる瞬間」というのが、走り始めてから心身ともに疲労困憊し始める2時間くらいしないとやってこないのが悩みどころ。。。

昔何かの本で読んだのですが、坐禅に慣れたお坊さんなどは、座るとすぐに脳からアルファ波が出てくるそうです(つまり深いリラックス状態になるということ)。
でも恐らく、普段忙しく過ごしててベータ波ばかり出してせわしなく過ごしている人は、坐禅をしてもなかなかすぐに頭の中を「無」の状態に持っていくのは難しいことだと思います。
例えば、坐禅でじっと足を組んで座っていると、恐らく普通の人は無我の境地に達するより先に、足などが痛くなる感覚がやってきます。でもその痛みと向き合うことで(痛みと言う存在があるからこそ)、痛みを手放す方法に気づく、といった次の段階に行くことができるような気がします。
それは、ランニングのときもきっと同じなのでしょう。
元気なうちは雑念を色々考えてしまうけど、心底疲れてくるともう頭が真っ白になって余計なことが考えられなくなるものかのかもしれません。

それから、最近坐禅をしにお寺に行っている話なども以前書きましたが、そこで教わったのは、坐禅に必要なのは「調身」「調息」「調心」。つまり、体、呼吸、心を整えると言うこと。

マラソンのように長い距離を走る場合も、これがとても必要なんだな~と、ホノルルを走っている時も思いました。
まず、身体(姿勢)を整えるのは分かりますよね。
そして息(呼吸)。これも規則正しく整ったものでないと苦しくなってしまいます。
最後に心。まだ○キロしか走っていない、とかあと○キロもある、なんてことを考えて走っているとただツライだけ。それよりも、目の前に広がる景色や人々、そう「今」に集中して「マインドフル」に走れば、42.195キロ、楽しく過ごせます。

ということで、走るという行為はとてもスピリチュアルに思える私です。

ちなみに、坐禅と瞑想はどう違うのか?と聞かれることがたまにあります。
坐禅も瞑想も英語ではMeditationになります。日本語版のウィキペディアではこの2つは「別概念」としていますが、私は基本的に、この2つは同じで、方法や取り組み方の違い、と考えています。
どちらも雑念を排除して非常に集中した状態になるということ。
坐禅は字の通り、座って行うものですが、坐禅の間に行う経行(きんひん)というものは、まさに「Walking meditation」だと思います。歩いて瞑想することができるのであれば、当然走りながら瞑想することもできるはず~。

ただ大人しく坐禅を組むことなどできない!と言う人はぜひ、ウォーキングやランニングで瞑想をしてみてください~♪
(その際は、音楽などは聴かないように~!)