英国・ロンドンで6年強を過ごした経験をもとに、「活きた」日本語・英語による翻訳・通訳・ライティングを行っている松丸さとみです。

主にニュースサイト (BuzzFeed Japanなど)での翻訳のほか、ライティング(Newsweek(ニューズウィーク日本版)NewSphereなど)もしております。

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日本翻訳連盟会員


2013年9月17日火曜日

ただ存在する時間


先日、坐禅会というものに参加して久しぶりに40分間、じっと坐禅を組みました。


実際に坐禅を組む前に初心者向けの講習があるのですが、そこで指導してくれたお坊さんが、「坐禅というと心を無にしなければいけないと思われると思いますが、人間である以上、お腹空いたな、とか色々な考えは浮かんできます。ただここでじゃあ何食べようかな、と追いかけてしまうと、それは坐禅ではなく単なる考え事になってしまいます。でもその考え事を止めるために、ムリに何かをする必要はありません。水に石を投げると波紋ができますが、これを鎮めるために手を入れると、余計波紋は広がります。波紋を鎮めるには、ただ何もしない、それだけです」とおっしゃっていました。

「何もしない」
これは私が訳を手伝わせていただいたマインドフルネスの本にも載っていました。
何もしない。
ただ、存在するだけの時間。
Doingではなく、Being

静寂の中で大人しく座っていると、「うきゃ~!」とか奇声を発したくなってムズムズする自分の存在に気づきます。
ADD/ADHDとかではないです、ご心配なく(^^;)
けど、むかし吉本新喜劇に寛平じいちゃんの「わしゃ止まると死ぬんじゃ」というギャグがありましたが、私は地で「止まると死ぬ」タイプの人間なので、この静寂の時間は非常に苦しかったりします。

でも静かに座っていると、いつも自分の周りでワサワサ動いているような自分の「気」が静まっていくのが感じられるような気がします(単なる気のせいかな。あ、ここでも「気」という文字が。。。)。

途中であまりにも足が痛くなって、走れなくなったらどうしよう、とか、坐禅の組み過ぎで足が悪くなるとかあるのかな、とか、雑念で満たされてしまいましたが(^^;)

都会で忙しく働いている人にとって、この「何もしない」というのは非常に難しかったり、苦痛だったりするかもしれません。
しかも、瞑想をして何になるのか?その効能(?)は正直よく分かりません。
もちろん探せばいくらでも「坐禅が良い理由」を書いた文献やウェブサイトは出てきます。
けど、実体験として自分が分からなければ、ここに書く意味はありません。
それに、坐禅を通じて何を得られるかは人によって違うかもしれません。

それでも、ただ存在するだけの時間を作って、本当の自分と向き合う時間ってとても大切な気がします。
少なくとも、いま心を煩わせている問題が、実はたいしたことないのだ、と気づいたり、手放したりすることができるかもしれません。